仙台市泉区小角、仙台藩家老・古内主膳重広公の菩提寺。伊達藩二代藩主・伊達忠宗公霊牌所。

仙台市泉区小角、仙台藩家老・古内主膳重広公の菩提寺。伊達藩二代藩主・伊達忠宗公霊牌所。

仙台市泉区小角、仙台藩家老・古内主膳重広公の菩提寺。伊達藩二代藩主・伊達忠宗公霊牌所。 仙台市泉区小角、
仙台藩家老・古内主膳重広公の菩提寺。
伊達藩二代藩主・伊達忠宗公霊牌所。

大満寺由緒

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大満寺とは

大満寺は、山号を虚空藏山と称する曹洞宗の寺院です。

享徳元年(1452年)に、龍門山洞雲寺の実底祥秀禅師により復興されました。東北の曹洞宗の寺院の多くはその前身を真言・天台宗に起因しています。大満寺は虚空蔵菩薩像をご本尊に奉り、また伊達家以前の領主國分家の家臣であった古内家の帰依があることから真言宗の寺院として信仰を集めていたものとされております。

当寺の中興開基は伊達藩二代藩主・伊達忠宗公であり、本堂に「大慈院殿」の霊位牌をお奉りしています。『小角村安永風土記/日本歴史地名大系』によると、江戸期の寛永21年(1644)伊達二代藩主忠宗公が松島に赴いた折、筆頭家老職、古内主膳重広公の取次により寺領として二貫四〇五文を寄付され、着座の寺格とともに代々黒印を下されたとあります。また、寛文年間(1661~73)の建立と伝えられる位牌堂(名称:霊光殿、現存なし)は総欅造りであったと伝えられ、藩主忠宗公および古内家代々当主の位牌を安置していました。

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忠宗公は病を得て、万治元年(1658)7月12日に没しました。
病死した忠宗公の為に薬師如来像が建立され、さらにはこの仏像を囲むように同日に殉死した筆頭家老古内重広公の墓、重広公に追腹した家臣の木名瀬・中山・鈴木の三名の墓が建立され、今も境内の西の丘に眠ります。当寺では、仙台初代藩主・伊達政宗公に見出され二代藩主伊達忠宗公の筆頭家老として、藩政に生涯を賭した古内重広公の功績を今日まで大切に語り継いでおります。

平成18年(2007)7月には、藩主忠宗公と重広公及び家臣三名の350回大遠忌の萬灯供養を修行、古内家からも代表者として古内重義氏が出席され香華を手向けられました。総欅造と伝えられる位牌堂には遠く及ばないものの、平成23年(2011)に建立した本堂に開基壇を設け、現在も仙台藩の基礎を固めた伊達忠宗公・古内重広公はじめ古内家代々の位牌を安置しています。また、かつては末寺に長全庵という寺がありました。

境内の蔵経壇の碑には、古内家の家系図と重広夫人(高木氏の出身)が夫の供養のために写経した法華経、その納経先の神社仏閣名を儒者である内藤以貫が撰文撰書したものが刻まれています。碑は元々、根白石村の太白山に建立されたものでしたが、昭和50年(1957)に宅地開発により、当寺の現在の場所に移されました。内藤以貫は忠宗公・綱村公の侍講であり、政宗公・忠宗公の年譜を撰した人物でした。また古内重広公とも親交がありました。西田中村の松木屋敷に隠住の後、元禄5年(1696)に没し、大満寺の西に墓地があります。

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曹洞宗について

曹洞宗は、お釈迦さまより歴代の祖師(そし)方によって相続されてきた「正伝(しょうでん)の仏法(ぶっぽう)」を依りどころとする宗派です。それは坐禅の教えを依りどころにしており、坐禅の実践によって得る身と心のやすらぎが、そのまま「仏の姿」であると自覚することにあります。

そして坐禅の精神による行住坐臥(ぎょうじゅうざが)(「行」とは歩くこと、「住」とはとどまること、「坐」とは坐ること、「臥」とは寝ることで、生活すべてを指します。)の生活に安住し、お互いに安らかでおだやかな日々を送ることに、人間として生まれてきたこの世に価値を見いだしていこうというのです。

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禅の教え

私たちが人間として生を得るということは、仏さまと同じ心、「仏心(ぶっしん)」を与えられてこの世に生まれたと、道元禅師はおっしゃっておられます。「仏心」には、自分のいのちを大切にするだけでなく他の人びとや物のいのちも大切にする、他人への思いやりが息づいています。しかし、私たちはその尊さに気づかずに我がまま勝手の生活をして苦しみや悩みのもとをつくってしまいがちです。

お釈迦さま、道元禅師、瑩山禅師の「み教え」を信じ、その教えに導かれて、毎日の生活の中の行い一つひとつを大切にすることを心がけたならば、身と心が調えられ私たちのなかにある「仏の姿」が明らかとなります。

日々の生活を意識して行じ、互いに生きる喜びを見いだしていくことが、曹洞宗の目指す生き方といえましょう。